チームマネジメントのお話 2
RCJに参加する上でまず何よりも大切なのはチームメイトの存在です。
から始まるチームマネジメントのお話の投稿から1年が経ちました。軽いポエムのつもりで書いたこの記事ですが、僕の予想以上に多くの方に読んでいただけたようです。
今年の世界大会組のチームの様子を見ていると、やはりどのチームもチームワークが非常に良いなと感じます。やはりRCJという競技は誰か1人が強いだけでは勝てないのだなと思いました。(なんか上から目線でごめんなさい。)
以下に書くのは、一旦解散したチームが再度改めて世界大会出場権獲得を目指すまでの物語です。
関空で解散。そして再結成。
あんまりネットの海に流すようなものでもないので詳しくは書きませんが、旧Blendは方向性の違いから大会終了後に1対3に分裂し(かなりオブラートに包んでいます)帰国後そのまま関西国際空港で解散という形となりました。
実はちょっと前から違和感はあったのですが、渡航中2週間缶詰になったことによってそれが露呈し僕たち3人の意向が一致した形です。病は気から現象もあり、僕たち3人(と同伴の2人)は帰国時には体調を完全に崩していました。大会後に僕がTwitterに全然浮上しなくなったり、発狂したり、軽い鬱になってたりしたのはこれが原因です。コンサート行ったり北陸行ったりして気を紛らわせながらなんとか耐えてました。
初めての世界大会がこのような後味の悪い結果となってしまったわけですが(もちろん楽しかったですけどね!)、これでは終われないという思いから大会終了後とりあえず3人のグループLINEを作りました。この時の「たのしくロボットつくる」というグループ名が現たのロボ!の由来です。
たのロボ!として活動開始
こうしてチーム名も新たに決め、僕含めた3人で新たにスタートしたわけですがまずやらなければいけないことが多くありました。
- 前チームからの資産の引き継ぎ
- 開発体制の再構築
ソフトウェア的な資産についてはGitHubから引っ張ってくるだけなのですぐに終わりました。RCJにはロボットをチームメンバーだけで作らなければいけないというルールがあり、1のほうの旧メンバが作ったコードは開発者がいなくなったので残酷ですが消しました。(気持ち的に自分たちで作りたかったのはあります。)
ハードウェアや工具、部品などの資産はいらないと言われたので全部回収しました。その後、自分たちが何を持っているかの部品在庫を全てNotionデータベース化しました。在庫のデータベース化は初めての試みでしたが、その後のチーム運営がかなり円滑に進んだのでやってよかったです。
ちなみにこの時点ですでに10月後半です。実はこの先に立て続けに
- 高専ロボコン
- 定期試験
- 課題
- 課題
- レポート
- レポート
- 課題
- 課題
- 課題
が僕たち高専生を襲ったことにより12月後半まで開発がほとんど進みませんでした。というよりやってる場合じゃなかったというのが現実です。3年生では流石に2年生とは異なりパッパラパーでは生きていけなくなっていました。
ライバルに抜かされる!!
実のところブロック大会まではあまりエンジンはかかっていなかったです。世界大会前後が苦しすぎたのもあり、ちょっと一瞬ロボットから離れて落ち着こうぜみたいなムードが少しありました。ブロック大会までは。
1月初旬の岐阜ブロック大会ではとりあえず世界大会機を持っていってそれっぽく動かしてヨシ通過!といった感じだったのですが、この数日後に埼玉ブロックで540点を叩き出したチームがいるとの情報が入り事態が一変します。この当時、僕たちは1試合で500点越えのスコアを一度も出したことがなかったので、単純に負けているわけです。「今年は世界大会でいい成績残せたらいいね」とか言ってる場合ではなくなりました。
他にも去年一緒に世界大会に行ったレスキュー・ラインのRememberが僕たちと同じメイズ部門に出場していて、かなりいい動きをしていたのもトリガーとなりました。
かなり遅いですが、帰国後からこれまでの期間に天狗になって何もしていなかったことにやっと気づいたわけです。この辺りからオランダの世界大会に行けない可能性が脳内にちらつき始め、夜スッと眠れなくなりました。
怒涛の追い上げ
もちろん危機感を持っていたのは僕だけではありません。Discordに「他チームの進捗」というチャンネルを作り、他のチームがどれだけ進捗を産んでるかを意識するようにしました。
この辺から開発が一気に加速し、とりあえず一月中に他チームと同等のスコアを出せるようになりました。今コミット履歴を見てみたら1日あたり100行以上のペースでコーディングが進んでいたので、尋常ではない速度で開発が進んでいたことになります。そして2月1日には去年達成できなかった帰還もできるようになりました。いわば尻に火がついた状態で開発を進めていました。
この辺りから「やればできるやん」という雰囲気がチーム内に流れ始めます。初帰還成功日にはみんなでピザパーティーをしたりして、少しの成長でも良いことだと捉えられるようになってきました。
伊勢神宮
ロボット競技って所詮運なので(?)、伊勢神宮に日帰りで行くことを提案しました。名古屋で乗り継ぐだけで行けるので結構お手軽に行ける距離にあります。
参拝をしたことで「ちゃんとお祈りもしたし俺らなら大丈夫」という自信が芽生えてきました。この記事に書くことはあまりないかもしれませんが、神宮に行ったことによる心理的効果はかなり大きかったと思います。
進捗の可視化
この頃にRCJ CMSというものをチーム内で導入しました。サッカーの方はあまり馴染みがないかもしれませんが、レスキューは点数計算が複雑なので、それを管理するシステムが存在します。このような画面を見たことがあったら、それがCMSです。
これには2つ意図があり、
- 開発の進捗を可視化して履歴を残す
- CMSを「見慣れたもの」にすることで、大会本番で不用意に緊張しないようにする
ことを目的に導入しました。
またこの頃から各メンバーの保護者をたのロボ!のDiscordサーバーに招いて日々の進捗を共有することで、いわば各メンバーに進捗の結果責任が発生するようにしました。(共有チャンネルの更新が止まる=進捗を産んでいない!と解釈される)
春休み突入と役割の再分担
春休みに突入してすぐに、新機体「大鯰」が完成しました。ハード担当のsetukaが無限に加工してくれたおかげです。互換性のある設計だったので、旧機体いぬわしからの移行は数日で終了しました。
この頃から予備部品を製造する以外のハード班の仕事が消滅します。ハード班が稼働していないということは、ハード故障がないことの裏付けでもあるので悪いことではないのですが、それとは裏腹にソフトウェアのタスクが膨大な量になっていました。メンバーが去年より1人減った状態で、去年より良いものを作ろうとしているので当然と言えば当然です。
そのため、ソフト側のタスクをハード側に回す形でタスクの再分配をしました。全員をソフトウェア担当化することで、誰かがパンクすることなく開発を加速させることができました。
この時のノウハウの引き継ぎはNotionにドキュメント化することで行いました。実際のWikiはこちらから見ることができます。
例えば、ソフトウェアを触ったことがなくてもどこを調整するべきかとコマンドさえ分かれば、写真を撮りまくって機械学習モデルを作ることができるよねという感じです。ソフトウェア構築の方針を決める人はそのままで、実装を他の人に移管することでソフト班の負荷を低減することができました。
最後の詰め
大会まで残り2週間を切る頃には、帰還も安定してできるようになり、練習するたびに満点やそれに近い点数がポンポン出るようになりました。この辺りから「満点を取れたら嬉しい」ではなく「満点が出なかったらデバッグ開始」というバグ探しフェーズに入ります。
色々な条件で練習した結果、3分で6x6のフィールドを全探索して帰還したり、途中で意図的にマップずれを発生させても帰還ができたりとかなり良い動きをするようになってきました。
バグを見つけては修正しての本当に地道な作業の繰り返しでしたが、このバグ取りの完成度が優勝につながったのだと思います。
toi toi toi!
はい、恒例のミーム化です。去年はマツケンサンバでしたね。今回の教祖はsetukaです。
「Eテレ 0655 toi toi toi!」とかで調べると出ると思います。楽しかったので結構よかったです。朝が来て toi toi toi!
大会期間中
ほぼ万全の状態で用意できていたので、調整日はカメラの閾値調整や床の閾値調整をちょっとするだけで終わりました。
今年はパドックの整理にも力を入れました。結局トラブルはなかったので緊急対応をすることは一回もなかったのですが、いつでもすぐにロボットを修理できる環境を用意しておいたのは精神的にもよかったです。
無事ロボットが動き、大会1日目終了時点で2位と130点差をつけることができました。大会1日目の夜の時点で、このまま動けば優勝できる状態だったので、下手に何もせずにそのまま寝ました。
大会2日目はカメラの調整以外はしませんでした。最終走行は、ジャイロが狂ったりするなど今までにない魔物に襲われましたが、冗長性のあるプログラムを組んでいたおかげで完走することができ、無事優勝することができました。
競技成績
- 優勝
- 優秀プレゼンテーション賞
- その他色々
って感じでした。昨年優勝した時は740点だったのが、今年1795点にまで伸びたのは凄まじい成長だと思います。
終わりに
とりあえず全国通過できて安心しています。再結成が10月なので、開発期間は他のチームに比べてかなり短かかったと思いますが、それでもここまでの成績を残すことができたのは、メンバーがお互いをよく理解しあえる良い仲間だったからだと思います。
現在私たちは航空券と宿を確保し終え、7月の世界大会に向けて頑張っているところです。今年こそは、トロフィーを持って帰れるように頑張りたいと思います。
Comments