オーディオがわからない

しろくま胡瓜
しろくま胡瓜 |

Note:技術的解説は何もありません。ポエムです。

最近、オーディオ沼に片足をそっと突っ込み始めた。まだ浸かったとは言いがたく、謂わば足湯のような状態である。

九月の末、当時都心から少し離れた三鷹で過ごしていたとき、休日に秋葉原へ行きいつものように電子部品を買い漁った後に時間が余ってオーディオショップに寄って試聴したのが全てのきっかけだ。それまでヘッドホンというものをまともに使ったことがなかった私にとって、有線ヘッドホンとの出会いは衝撃的なものであった。壱万円もする決して安いとは言えない品物ではあるものの、次の日の朝起きてもどうしてもその音が忘れられず、秋葉原に買いに走った。

振り返ると、私が音楽を聴き始めた時期は小学二年生頃なので周りと比べると結構長い。当時は図書館にあるCDや家の箪笥に仕舞われていた古いCDを取り込んで百均のイヤホンで聴いていた。まだ好みのジャンルなども定まっていないので、とにかく取り込んでは聴き、取り込んでは聴きを繰り返した。

小学校高学年になった頃、YouTubeへアクセスできるようになったことで一種の革命が私に起きた。選曲できる曲数がせいぜい覚えられる程度だったものから、膨大なものへと変わった。ちょうど、「新宝島」や「私以外私じゃないの」が流行っていた頃のことだろうか。この頃にボーカロイド楽曲にも触れるようになり、学校で友達とCDを廊下の曲がり角の影でコッソリ交換しあって楽しんでいたのは良い思い出だ。

中学生になった時、第二の革命が起きた。家で一人の時に、押し入れにあったWALKMANとそのイヤホンで幾つか音楽を聴いてみた。親父のものだったのでケツメイシや知らない洋楽しか入っていなかったのだが低音の深さや高音の伸びが全然違うと気づいて“しまった。”

これを知ってしまうと、もう百均のイヤホンを使う気にはなれない。飛行機でもらえるそれと同じ音にしか聞こえない。

後日きちんと交渉し、自由に使っても良いことになった。試験週間の時は市立図書館に持って行き開館から閉館まで数学の問題を解き続けたこともあった。WALKMANでCDから取り込んだ無圧縮wav音源を聴いていたので、それはもちろん耳も徐々に肥えていった。イコライザをこだわり始めたのもこの頃からであろう。なんとも贅沢な小僧である。

しかし、高専入学とほぼ同時にiPhoneとAirPodsを手にして以降、音質へのこだわりはそこまでなくなった。どちらかというとカジュアルに聴くようになり、聴く時間自体は長くなったものの、私にとって音楽は聴くものから流れるものへと変わっていった。

話を戻すと、最近は音楽を聴く楽しみが再燃し、どうやったら手持ちのオーディオ機器の性能を引き出せるのか、どうやったら快適に音楽を聴けるのかを模索している。しかし、私はオーディオより電気・電子、情報に触れたのが先なので周りから見れば謂わば逆行している人間である。普通ならば良い音を知り、さらに上を求めるためにアンプやDACなどの電子機器について学び、改良しを繰り返すのであろうが、私はオーディオアンプの存在より先にブレッドボードでオペアンプの増幅回路を学んだ人間である。

困ったことに、どうしても理論が先行してしまうのでインターネットや雑誌に書いてある音質向上テクニックや解説が腑に落ちないことが多い。例えば

「非可逆圧縮をすると、解像度が下がるので細かな音が聞き取れなくなり、音が劣化する。」

これは理解できる。筋が通っている。私もそこまで良い耳を持っているわけではないが、256kbps以下だと劣化しているなと気づくことがある。320kbpsとロスレスの違いはまだあまりよくわからないが、音楽を聴いている時に「あっ、こんな楽器鳴ってたんだ」と気づく時はロスレスを聴いている時の方が確かに多いので、直接的な違いは分からなくても多少の意味があるのだろうなと納得している。私の使っているMacBook AirやUSB-C to 3.5mmの変換アダプタはロスレス再生にちゃんと対応しているので嬉しい。

買った当時は違いがわからなかったが、Apple Musicにない曲をiTunesで買った(AAC 256kbps)ことは少々後悔している。最近になって曲を買う時はレコチョクを使い始めたがこちらはAAC 320kbpsであり私の耳でロスレスと区別がつかない領域なので何の不満もなく大いに楽しんでいる。ただ、明日の自分がどう言っているのかは定かではないので正直怖い。

YouTubeの音声コーデックのOpus 251は最大160kbpsなので、YouTubeはあくまでMV観賞用、音楽鑑賞はApple Musicのロスレス再生という棲み分けができている。これは良し悪しの問題ではなく、動画サイトか音楽サービスかの区別があるだけである。

しかし、これはどうだろうか。

「銅線から銀線に変えると抵抗が小さいので音質が良くなる」

正直私には理論的に理解できない。まず抵抗が小さいとなぜ音質が良くなるのかについて触れられていない。抵抗が小さければいいという単純な話ならハイインピーダンスヘッドホンなど存在しないではずあろう。少々話が飛躍している。

銅と銀の抵抗率の差もせいぜい5%程度と私は誤差の範囲内であると思う。5%は大きいだろと思われるかもしれないが、そこまで抵抗率が気になるならケーブルを冷蔵庫に突っ込んで冷やせば銅線でも常温の銀線の抵抗率を下回れる。ケーブルの抵抗値が5%下がったところで、果たして合成インピーダンスはどれくらい変化するのだろうか。ケーブルの抵抗は接点の抵抗に比べてどれほどだろうか。音圧の単位がdBであるように対数が取られていることを踏まえると、私には聞き分けられる自信は更々ない。最も、抵抗値を下げたいなら線を太くしたり線を短くするのが先であろう。

他にも銀線は高音域が増強されるとかの記述をよく見かけるが頭をかかえる。私が知っている物理ではどう頑張っても説明できない。しかしそれも「お前が勉強不足なだけだろう」と言われたら残念ながら反論はできない。もちろん興味はあるが。

無論、リケーブルによって音が変化するということに異論を唱えるつもりはない。というか変わる。例えば、

「ケーブルの編み方を変えるとクロストークが変化するので音が変わる」

うむ、まぁ分かる。容量・誘導性結合について考慮されたケーブルである必要性は大いに理解できる。他にも端子の品質やバランス接続などが音に変化をもたらすのは間違いないであろう。確かに低品質な百均のケーブルを使いたいと私も思わない。

要するに今の私の見解としては、

銀線か銅線かよりも他の要因による音質の変化の方が大きいが、銀線を使うような高価なケーブルはその「他の要因」の品質も高くなりがちで音質が改善される。抵抗率や端子、編み方などの条件をそろえて比較したら、銀と銅の違いはない。(が、そんな双子のようなケーブルは市販されていないので比較データが存在しない)

と考えているのだが、良い耳を持った方々に「お前の耳が糞耳なだけだ」と言われたら反論のしようがない。違いを主張するのは簡単だが、違いのなさを主張するのは難しい。残念ながら科学が全てではない。悪魔でもない限り証明は無理だろう。全ては信じる者のみが救済される。

まぁ、私は不必要にお金をかける必要がなくなっていると考えているので、これはこれでありなのかもしれない。

長々と語ったが結局のところ、オーディオというのは人の主観でしかない。ドンシャリが好きな人もいればそうでない人もいる。私はどちらかというとフラットな音質が好みだ。もしかしたら百均のイヤホンが一番音質が好みな人も世の中にいるのかもしれない。何も絶対的な解がない。歪みが少なければいいという考え方もあれば、真空管を挟んで周波数応答を敢えて歪ませた方がいいという考え方もある。

プラシーボもまた一つのオーディオの楽しさゆえ、それを楽しんでいる人に私の感覚を突きつけるのはただの価値観の押し付けでしかないのでするつもりはないし、反論についても大いに認めるつもりである。オーディオ機器の見た目やかっこよさ、所有欲も「総合的な音楽体験」という意味では価値があるのは間違いないだろう。

確かにオーディオは楽しい。先にスピーカーを自作したこともあったが、箱材は全て百均の材料、塗料も百均。スピーカーユニットは少しお金をかけて七千円。お金はかかっていないがそれなりに考えて作ったので、低音から高音までよく出る。柔らかい音なので自室で作業する時に愛用している。このくらいでいいじゃないか。

ヘッドホンもケーブルが長すぎると取り回しが良くないので、大阪日本橋で買ったジャックを使ってリケーブル仕様に改造した。筐体をこじ開けてニッパーで切って半田付けするだけ。このくらいでいいじゃないか。

もっと色々なオーディオ機器に触れてみたり、回路を自作してみたりしたい気持ちは大いにあるが…。今は今で十分満足にオーディオを楽しめているので、急いて手を出すことはしなくても良いことと思う。

しろくま胡瓜


  

しろくま胡瓜

日本のまんなからへんでロボット作ったり旅したりしてる白熊です。吠えたり噛みついたりしないから仲良くしてね。

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