SNSとの距離感
最近SNSとの付き合い方を見直すべきかもしれないと感じることが多いです。
自分は同年齢の人たちと比較すると電子機器を扱っている時間が長い自覚はありますが、別にそれが悪いことだとは感じていませんし、そういうものを学ぶと決めて高専に入学したわけですから特に問題ではありません。
Instagram、Facebookはそもそもあんまりやってなかったので、ログアウトだけで適切な距離感をとることができました。しかしTwitter、こいつだけは曲者です。
Twitterをはじめた理由
そもそもなぜTwitterをはじめたかというとロボカップジュニア競技者・OBなどと交流したいというものがありました。憧れのとみっくすさんに相方がリプライを送って直接話してる姿は羨ましいものでしたし、自分も交流したいなって。
あとは自分の作ったものを誰かに見てもらいたいというものですね。小さい頃から何か創ったら親や友達に「見てみてー」と見せたりするのが好きだったので、それの延長線上にTwitterがあった感じです。めっちゃ楽しかった。
全然知らない人のツイート覗きにいくのも世界が広がる感じがして楽しかったですね。某ベーコン大臣がドリアン食べてるなーとかアヒルマスクおもろいなとかそんな感じのノリで純粋にTwitterを楽しめていました。
大人の世界を覗きはじめた
2020年春のCovid-19の流行辺りから少しづつTwitterに対する意識が変わりはじめました。トレンド欄のほとんどがネガティブなニュースになり、今もその傾向は続きつつあります。(それ以前がどうだったかはあんまり覚えていませんけどね。)
大人の世界ってもしかしたら自分が想像してるような綺麗な世界ばかりではないのかもしれないと感じはじめました。見ようとしなくともRTとかで視界には入りますし。意外と世の中って学校の先生みたいに尊敬できる大人ばかりじゃないのかもって。
これがCovid-19がトリガーになってこのような鼠色の世界になったのか、それとも自分が心身ともに成長してそう見えるようになっただけであって元々そういう世界なのか、これは僕にはわかりません。
正義の盾と心身の疲労
何か良くないことがあった時に、人間はそれに対して善の側にいると錯覚することがあります。この錯覚が人を傷つける発言につながることも多いですし、特に匿名という環境下では顕著に現れます。
近年の政治家・思想家のリプ欄とか終わってますよね。議論とか思想の共有というよりもはや喧嘩です。
「ワクチンは猛毒」とか「fugafuga党は絶対にだめ」とかいう類のツイート、一回は見たことあると思います。ただし本人いくら正しいと思っていても周りの人がどう思うかはわかりませんし、意見を述べることと感情的になることは全く別のことです。
もちろんTwitterの使い方なんて自由ですし、自分の考えや思想を人に伝えたり啓蒙する目的でSNSを利用する人もいます。が、僕はそういうのはあんまり得意ではないのかも。
歴史を遡るとえらい将軍とかが現役引退した後に隠居したりしていますがその気持ちもわかる気がします。
1週間離れてみた
先日の参院選前の暗殺事件の時に「Twitterを見ることで精神が疲労している」感覚を強く覚えました。これをきっかけに一週間Twitterを見ないことにしました。(ツイートはしましたが、ツイートの機能しか持たずTLやいいね等を見る機能はないAppを入れました。)
あの時感じたのはだいぶ心が軽くなったということです。穏やかな海に潜ったかのような感覚です。何か心の中のモヤモヤが晴れた感じがしました。
しかしTwitterを絶った以上馬の合う人との交流はもちろんできません。
社会から一定の距離を置きたいという気持ちと、交流を楽しみたいという気持ちがうまく噛み合わない感じです。
良いことももちろん
Twitterも悪いことばかりではありません。自分の成果や考えを世に出すことで得られた知識や知見は計り知れないものでしたし、人と交流していくうちに自分にしかないものを見つけられてきている気がします。これを一般に個性とか自分らしさって言うらしいです。知らんけど。
京阪奈の全国大会ではTwitterというツールがあることによって交流の輪が広がりましたし、そもそもAll_outlookとの最初の接点もTwitterなのでそれはTwitterやっててよかったなって思う点ではあります。
高専の友達とTwitterで交流するのもめっちゃ楽しかったですね。あいつがドーナツ買ってる、おいしそーぼくにちょーだいみたいな感じ。Twitter特有のノリが楽しかったです。
さてこれからどうするか
ざっとまとめるとこんな感じです。
- 別にSNSは見なければならないものではない
- 見たくないものからは逃げたって構わない
- 少しでも楽しめてないなと感じたら距離を置くことも大切にする
自分に関係ない誰かが何をしたかどうかなんてぶっちゃけどうでもいいですし気に留めるだけ無駄です。一歩間違えると誤解を生みかねない表現ですが、ある程度は他人事として処理することも大切なのかもしれません。
本来楽しむはずではじめたTwitterで気分を悪くしないために、Twitterから離れることも必要というのは何かヤマアラシのジレンマに似たようなものも感じます。
僕は8月生まれなので、あと1年と数週間で法律上は成人として扱われることになります。Twitterなどで色々な世界を見てしまった今、楽しみなような怖いような複雑な感情です。
18歳になった時、この混沌とした世界は僕の目にどう映っているのか。それは今の僕には想像できるものではありません。
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